成長記録




2013年6月14日に始めたフルート。
毎月1〜3回のレッスンを楽しみに続けてきました。
そして、ちょうど2年目の2015年6月14日。
教本上巻が終わりました。

下巻に進みます!

できそうでできないこと

卒業制作


昨日、中央高校の生徒さんが「職業人インタビュー」ということで
事務所を訪問してくれました。

「去年までは、進路について前向きに考えられなかった。
 今年になって、“夢”を将来の中に入れて考えてもいいということを
 担任の先生が促してくれた。
 絵が好きな自分は、イラストやデザインを仕事をしている人に
 話をききたいと思い、ここに来た」

という趣旨を聞いて、感動しました。

かつての私がそうであったように、
「絵が好きなだけでは、職業にするのは無理」と
多くの人があきらめる(またはあきらめさせられる)中で、
生徒の“夢”を応援してくれる先生の存在は大きいのではないでしょうか。

この生徒さんは、自分でアポイントの電話をかけ、訪問も単身。
地図を調べ、自転車をこいで
自力でここまでやってきてくれたのです。

先生の出番は「こんな人がいるよ」と紹介するところまで。
そこから先の行動を生徒さんに委ねる距離のとり方は
できそうでできないことだなと思います。

先生に連れて行ってもらった、と
暑い中、自転車こいで行った、とでは
行動の重みが違うでしょう。

 * * *

絵が好きで、仕事に活かしたいと思っている人は、
自分の絵がどのような場面で人の役に立つかを
積極的に考えてみたらいいのではないかと思います。
また、作品のポートフォリオを常に携帯していろんな人に見てもらえば、
見てもらった人のつながりや感想の中にヒントが見つかるはずです。

直接的な職業に就かず、
絵とは関係がないと思われる企業に就職したとしても、
「絵が描ける」という能力が会社を救うこともあるかもしれません。

「“どうせ無理”を無くそう」という、YouTubeの植松努さんに感動したり、
写真の得意な社員さんが輝ける場を、と
新規事業に発展させた社長さんのお話をお聞きしたり・・・
ということも手伝って、「好きを仕事にする」ことを心から応援したい最近の私でした。

 * * *

余談ですが、どうしてもデザイナーになりたかった私も
重たいポートフォリオを持ち歩いていました。
久しぶりに見ると、拙いキャラクターが並んではいますが、
ここからのご縁が今に続いていることを思うとやはり宝物です。
訪問してくれた生徒さんのおかげで、
初心を思い出すことができました。感謝。

あきらめずに続けることを続けていきたいですね。

※画像は、専門学校の卒業制作でつくったキャラクターです。

20+20=40




雨予報から一転、青空の広がった今日。朝5時に起きてお弁当をつくり、自転車で子どもたちの運動会へ行って帰ってきたら、演劇評論家の扇田昭彦先生の訃報がTwitter上にありました。

大学時代、扇田先生の「現代演劇」を履修しました。

旧きを温ねる他の専門科目も好きではあったけれども、矢印が未来へ向いた扇田先生の講義は本当に面白かったことを覚えています。毎週楽しみに、結果的に真面目に先生の話を聴きに行ったおかげで、「水の駅」のような衝撃的な作品(リアルタイムでは見られなかった)を知ることができました。

そしてその知識は、地元タウン誌の会社に編集者として入社して4日目、俳優O氏の合同インタビューに参加させてもらった際、直接役立ちます。

「Tという劇団に所属されていたとお聞きしました。今回の映画の世界観はその舞台と通じるところがあるように思ったのですが、その辺のところをお聞かせいただければと思います」。

O氏は「T」という劇団の名前のところでカッ!と顔を上げ、こちらを見てくれました。別の場所で見ていた編集長が「ええ質問だった」と褒めてくれたのが嬉しく、社会人1年目の思い出として大切に心に持っています(その後は、なかなか仕事をこなすことができずとても苦労するのですが・・・)。

 * * *

東京でひとり暮らす輪郭のないかつての自分の延長線上に、日焼け対策ばっちりでママチャリをこぐ40歳2児の母の私がいることがほんとうなんだな、と思いました。

わ!




ホームベーカリーで焼いたパンを切ったら、
ハート型が現れました。

平和な朝に感謝しなければ。

新学期




子どもたちに「ぜひお母さんに縫わせて!」と
頼み込んでいた新学期用のペンケース。
昨晩の夜なべで、ぞうきん2枚とともに完成しました
(間に合ってよかった)。

新学年おめでとう。

おばあちゃん




実家の法事が終わった後で見せてもらった
保険会社の記念品らしいソーイングセット。
おばあちゃんの持ち物の中にあったそうです。
デザインも色づかいもかわいい。

おばあちゃんは、24年前、私の高校の入学式の日に旅立ちました。
身近な人の死に触れるのが初めてだった私は
「もっと話したいこといっぱいあったのに」と
しばらく泣いて過ごしたように思います。

小学校低学年の頃は、
おじいちゃんとおばあちゃんが
「遠山の金さん」か「大江戸捜査網」を観ている隣で
計ド漢ドの宿題をしていました。
「自分で宿題ができるんは偉い」と
褒めてくれるのがとても嬉しかったのです。

そんな日常の風景の断片を懐かしく思い出した今日。
春の匂いがふるさとを包んでいました。

あこがれの“お母さん”像

ムスメ1号のオススメ、伝記マンガシリーズ。

昨晩、いわさきちひろさんについて、
“声を荒げているのを見たことがない”と周りの人が語っているのを読んで、
「優しいお母さんだったんやなぁ」とほのぼのしました。

私もおだやかな母を目指すぞ、と思って起きた今朝。

「はようたべ!」
「はようきがえ!」
「はよういき!」

と「はよう」三連発で、早速声を荒げてしまいました。

あーあ。

明日は「はよう」ではなく、
明るい「おはよう」であたたかく送り出したいものです。

グレーメンとヨサブソン



ムスメ二号(小1)の国語テストです。

-------------------------------
せんせいが いった ことばを、 かたかなで かきましょう。

(1)グレーテル ○
(2)ショベルカー ○
(3)グレーメン ×
-------------------------------

聞こえたまま書いたそうです。
書き間違いじゃなくて聞き間違い。
じわじわ来ます。

「ブレーメンの音楽隊」より先に、
“灰色の男たち”が出てくる「モモ」を一緒に読もうと約束しました。

* * *

また別の日のムスメ一号(小1)の話。

くもんの国語を解きながら

「おかーさーん、ヨサブソンってだれ?」

と、みんなが知っている“与謝蕪村(よさ・ぶそん)”の発音ではなく
“ウイルソン”のイントネーションで聞くのです。
面白い子です。

ついでに言うと、算数の“ひっ算”は、
“マッサン”“はっつぁん”的イントネーションでした。

もっと、いろいろ聞きたいと思いました。

本日の「くじらぐも」。

くじらぐも


ムスメたちを習字教室に送った帰り道で出会った「くじらぐも」。

ちょうど、ムスメ2号の「くじらぐも(中川李枝子さん作)」の音読を聞いたところでした。

私も1ねん2くみだったので、こくごの教科書の中のお話がとても身近に思えたものです。体育の時間に「てんまでとどけ、いち、に、さん」とジャンプをしたことも覚えています。

ムスメ2号も1ねん2くみ。
親子で同じおはなしを味わえるのっていいな、と思います。

追いつけない人のこと




「人と比べると不幸になる、
比べるならば、過去の自分と比べなさい。」

最近、いろんな人がいろんな場所で、この内容を発信しているように思います。
一昨日Podcastで聴いた「ラジオ版学問ノススメ」でも弘兼憲史さんがおっしゃっていました。

本当にその通りだと思います。
思いますが、こんな風に思えるようになったのはここ何年かのことです。
それまではとにかく隣の芝生が青く見え、さらにさらに、どんなに頑張っても追いつけない、圧倒的にすごい人たちを意識してきました。

小1の時に、私が言葉にできなかったことを見事に詩にしたチエちゃん。
小4の時に、私が読めない「悪寒」の読み方を知っていたチアキちゃん。
高2の時、絶対に越えられない脚本を書き残したフジイ先輩。
高3の時、透き通る空と風を4m×4mのクラス旗に描いたタナカくん。

と、幼少期より何人かの身近なすごい人に勝手に負けてきたわけですが、25歳の時に出会った彼もまた、追いつけない存在の1人でした。

当時私は、3年間勤めた会社を退職して、デザイナーになるべく『デジタルハリウッド大阪校』という専門学校に通っていたのですが、Illustrator、Photoshop、Flash、GoLive、3dsMAX、どのアプリケーションを使ってもレベルの高いものをつくる人が同じクラスいたのです。

それがイセくんでした。

入学して間もないころ、天神祭で配るうちわデザインの学内コンペがありました。私は居残りして、覚えたてのIllustratorで四苦八苦したデザイン(とよべるのかどうかわからないもの)を提出。私だけでなく、多くの人が同じような状況でつくったものを提出したと思います。

しかし選ばれたのは、居残りしていなかったイセくんの作品でした。花火が盛大に打ち上がっている賑やかな図柄でした。

イセくんはまた、ホームページも開設していました。レンタルサーバーの借り方、独自ドメインの取り方、みんなが知らない時代にです。そして、ただ開設しているのではなく、トップページにはFlashを使った画像があり、しかもセンスがすばらしい。同じ徳島出身で同い年、けれどレベルが全然違う。何かもう、この人には絶対かなわないなぁと思いました。

クラスの人たちも、口には出しませんでしたが、イセくんの作るものや本人のバイタリティを尊敬すると同時に、どこかで「自分はこういうすごい人がいる業界に行こうとしているのだ」という怖さに似た気持ちを抱いていたように思います。ものづくりへの甘えは許さない、そんな厳しさを既に持っている人でした。

イセくんのまわりには彼の話を聞きたい人がいつもいて、私もたくさん話したいと思っていましたが、何だかうまく話せませんでした。自分の作ったものに自信がなかったからです。

卒業制作の時期が近づいたころ、イセくんが病気になり休学したということを聞きました。長期の療養が必要ということしかわからず、誰もが心配したのですが、卒業間近に何日か学校に来ていて、友人の作成したムービーのアテレコに協力した話などを聞き、ほっとしたことを覚えています。

卒業後、徳島に帰ってから、イセくんも活動拠点を徳島に移したということも手伝って、話す機会が何度かありました。

『タウトク』という情報誌の立ち上げに関わった話、独立した話、幕末の話、Tシャツの話、“徳島フォント”の話、デザイナーとしてのあり方、徳島のこと。

私も独立して頑張ってはいましたが、いつもクリエイターとして全力疾走しているイセくんの話を、ただただ「すごいなぁ」と聞くことしかできませんでした。話の内容がすごすぎて、未熟な私は対等に話せないのです。端々に込められた「丸くなるな、尖れ、尖れ!」というメッセージを受け取ることもできないままでした。

そんな中でも、私がつくったものを褒めてくれることが稀にあり、そんな時は本当に嬉しく、少しだけ自分に自信が持てました。

病気がよくないことは何となく知っていましたが、それでも次も会えると漠然と思っていました。でも、もう会えません。9/5、永眠されました。

私はまだこの事実に向き合うことができていません。もうすこし時間がたてば見えることもあるかと思いますが、今はわかりません。書いてみれば気持ちがまとまるかなと思ったけれど分散してしまいました。

とりあえず今日は「今」思い出していることを書いて、
ゆっくり焦らず向き合ってみようと思います。

やっぱり、イセくんには、かなわないな。


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